歩いて3分のコンビニに行くのに、ノーメイクで出かけられますか?ジャージで電車に乗ったり買い物に行ったりできないと思っていませんか?

多くの女性はノーメイクやダサい洋服で出かけるのをためらいますが、それを気にしているのは本人だけ。周りの人はどんな人がどんな服で、どんな化粧で歩いていようがまったく気にしません。

あなたもそうではないでしょうか。「変わった服だな」「メイクがちょっと古い」とみられる事はあっても、それで損することはありませんよね。

なのになぜわたしたちはこんなにも他人に見られることを常に気にして、生活を息苦しくしてしまっているのでしょうか。

子供の頃からどう見られているか気にしなければならない教育

大人になって思えば、わたしたちは子供の頃から常に周りからどう思われるかを気にしながら生きています。

幼稚園や小学校では、周りの子どもたちと違ったことをすれば、大人から「変だ」「やめなさい」と言われるし、中学校や高校でも団体での行動が重視され、髪を染めたり制服を自分流に着こなしたりすることはご法度です。

わたしたちは常に周りと自分を比べ、一定以上の多数に合わせることを強要されてきました。「あの人はどうやってるのか」「この人と自分はこう違う」と人と人を比べて、害がない方向へ考えを変える方法が身についています。

それは「みんながやっているから間違いない方法だ」「はみ出した者がいると輪が乱れる」という、大人の都合に合わせられた習慣です。

その過程で自分を否定されたり、うまく対処できないことに悩んだりする人も多いはずです。だいたいの人は、このような経験があるのではないでしょうか。

それでも、その延長線上でわたしたちはいつも他人の目を気にして、やりたいことができない・息苦しい世の中だといって嘆いているのです。

他人の視線が気になる = 自分がどう見られたいか

他人の目を気にして言いたいことがいえない、やりたいことに挑戦できない、不満だと思うことは誰にでもあるはずです。

ですが、他人の目を気にする人ほど自分がどう見られたいかという理想を強く持っている傾向にあります。

  • 怒りたくても怒れない人は、優しい人だと思われたい
  • 大人っぽく見られたいから、感情の起伏を表に出さない
  • 冷静な人だと思われたいから、無謀だと思われる挑戦はしない

それは一般的に誰でも持っている理想像で、自分がなりたいと思う人物像であることがほとんどです。