自分の目の前で不正が行われているのを見つけたら、あなたはどうしますか?自分が手を差し伸べれば助けれるのに、面倒だからと素通りしていませんか?

口ではイイことを言っていても、実際に自分がその状況になってしまうと、見て見ぬふりをしてしまうのが人間というものです。みんなそんなに強くありませんからね。

何故、客観的に状況を聞いていると行動が起こせそうなのに、実際にその状況になると何もしない選択をしてしまうのでしょうか?

今回はそんな見て見ぬふりをする人の心理を紹介していきます。また、そんな自分を卒業する方法も併せて紹介します。

当事者でなければ痛みを伴わない

約束の時間に遅刻しそうで急いでいます。そんな時、道で迷子になっている子供を見つけました。あなたなら、どうしますか?

こんな質問をされれば、多くの人が「子供に話しかけて助ける」と答えるでしょう。約束の時間に少し遅れても理由を説明すれば問題ないし、子供を放っておけない!そんな正論を言うはずです。

ただ、実際にそんな状況に出くわしたら、先程助けると答えた多くの人が見て見ぬふりするでしょう。その理由は、質問に対して正しい回答をしても何も失いませんが、実際に行動を起こせば痛みを伴う可能性があるからです。

この痛みが頭によぎったときに、見て見ぬふりする心理が働きます。そんな痛みについて考えてみましょう。

遅刻することの損失

最も単純な痛みは、遅刻することで起こる損失です。この損失の大きさを考えて、助けるか?素通りするか?一瞬で判断します。

友達との遊びの約束なら「後で説明すればいいか」と思って比較的助けやすいでしょう。しかし、仕事関係の約束ならどうでしょうか?また、就活の面接や受験などの人生を左右する大事な約束なら?親族が危篤なら・・。

このように、遅刻することで失うものが大きくなればなるほど、見て見ぬふりをしてしまうわけです。まぁ、当然ですね。

予測しづらい新たに発生する損失

遅刻することでどれだけ痛みを伴うか?これは簡単に見積もることができます。しかし、子供を助けることにより新たに発生するリスクは予測しづらいです。

この場合だと、子供を助けようとしたのに、周りの人に不審者だと思われて警察を呼ばれた・・。助けようとしたのに馬鹿らしいですね。

また、子供が怪我をしていたら、新たにしなければいけないことが増えます。関わった以上、投げ出すことはできません。